後ろには何も残っていなかった
引用元: https://www.reddit.com/r/leagueoflegends/comments/1kfhonm/after_10_years_and_hitting_master_i_quit/
10年間プレイしてマスターに到達したので、LoLをやめることにした。
自分のLoLに対する思いを共有したい。同じように感じている人は多いと思う。
自分がプレイを始めたのはシーズン3の頃だった。最初はとても楽しかったし、どの試合もワクワクした。ただ、その感覚は長くは続かなかった。当時のPCでは他のゲームがあまり動かなかったので、LoLがデフォルトの選択肢になった。
ランク戦に挑戦し始めた頃からすべてが変わった。勝ち負けにそれほどこだわっていなかったはずなのに、常にフラストレーションを感じるようになった。ダイヤモンド4に何年も足止めされ、ひたすら回し続けた。
そして今シーズン、ついにマスターに到達し、最高で350LPまで行った。ずっと目指していたゴールだった。だが、その瞬間……ほとんど何も感じなかった。満足感があったとしても、それはほんの一瞬だけで、その後には空虚感だけが残った。
LoLはまるで荒れ果てた荒野のようだ。周りのすべてがリアルに感じられ、何か意味のあるものを追っているように錯覚させるが、それはすべて偽物だ。ゴールに近づいていると思い込みながら、ただ前に進み続ける。勝利は素晴らしく、敗北は痛い。だが、何百試合も経てついに目標にたどり着いたとき……その瞬間は過ぎ去る。
残るのは死のような感覚だけだ。これは中二的な意味ではなく、ただの事実である。使った時間は戻らない。何か有意義なこと、美しいことに費やせたかもしれない時間は、静かに過ぎ去ってしまった。
なぜこれを共有するのかというと、同じように感じているのに口にできない人が多いと思うからだ。自分は楽しんでいると思っていたが、それは「進歩している」という錯覚だった。ただ前に進むのに必要な最低限の幻想だった。
その幻想は、Baldur’s Gate 3 や Elden Ring など、真の喜びと深み、満足感を提供してくれるゲームをプレイしたときに壊れた。LoLが自分に与えていたものの少なさを痛感させられた。
人生が悪い方向に行っているわけではないし、依存していたわけでもない。シーズンごとのプレイ数はせいぜい300試合くらいだ。ただ、感情的には、LoLは確実に爪痕を残していた。そして今、はっきりとそれが見えるようになったからこそ伝えたい。もし君も空虚を感じているなら、君は一人ではない。
誤解してほしくないのだが、自分はゲームを悪者にしたいわけではない。ゲームはずっと好きだったし、これからも好きでいる。ただ、LoLは違う。これはまるでがん細胞のように、静かに、執拗に、気付かないうちに心を蝕んでいく。
愚痴っぽくなってしまってすまない。ただ、胸の内を吐き出したかっただけなのだ。
反応まとめ
💬 ビクターの言葉を借りるなら「完璧の先にあるのは、報酬ではなく、ただ追求の終わりだけだ」ということだ。
人は成果によって自己価値を測りがちだが、自分たちはその目的以上の存在である。集中するというのは、弓を引くように気を引き締め、気を散らすもの――例えば友人が誘ってくるくだらないARAM――を退けることでもある。
しかし、すべての不完全さを取り除いたら、幸せを感じる要素も失われてしまう。君はゲームの最適化の方法を学んだ。次は、楽しむ方法を学べるといい。友達と一緒に、ニッチなビルドを試したり、ふざけてみたりするのもいい。チームでやれば、ソロキューとは違う連携の面白さも味わえるだろう。
ただし、仲間には厳しくしすぎないように。ソロキューでの tryhard の癖は抜けにくいからな。
ソロキューで味方を戦犯扱いするような思考から離れ、信頼できる友とチームを組む。そういう仲間なら、自分の命を懸ける価値がある。
君が支え、君も支えられる、そんな関係なのだ。
💬 「友達と一緒にニッチなビルドを試したり、ふざけてみたりする」――これはまさに自分のことだ。GMにいて今も上を目指しているが、メタ外のジャングラーをフレックスやノーマル、あるいはアリーナで使って楽しんでいる。サモナーズリフトは今でも一番好きなモードだし、ランク戦も純粋に楽しんでいる。
高レベル帯のプレイにはとてつもないハイがあるが、それと同時に落ち込みも激しい。だからこそ、定期的に休まないと気が狂ってしまう。他のゲームをやったり、リアルで何かしたりすることも大事である。
💬 中毒ではないと言っているが、実質的には中毒だったのではないか?
プレイ数がそれほど多くなかったとしても、中毒というのはプレイ数の問題ではない。ゲームというのは楽しむためのものだ。LoLが苦痛やうつの象徴だとネタにされてはいるが、結局のところ、多くの人が楽しいからプレイを続けている。
もし君がランクに到達するためだけにプレイしていたなら、それはもう「ランク中毒」と言っても差し支えない。
💬 「意味のあることに時間を使うべきだった」「進歩という幻想だった」――それはゲームの問題を超えた、人間の生き方そのものに関わる話だ。
常に前に進むことや、何かを成し遂げることばかりに囚われる必要はない。自分が楽しめることを楽しむ、それでいいのだ。
進歩そのものにだって、喜びがあったはずで、それを「幻想」だと言ってしまうのは嘘になる。目標を達成して、そこで終わりにしたって構わない。JoshStrifeHayesの言う通り、自分の人格をゲームなどに結びつけすぎるのは危険だ。
過去の努力を誇っていいし、時の流れを惜しむこともできる。ただ、それでも――所詮ゲームなのだ。
💬 まさにその通りだ。自分も10年以上LoLをやってきたが、後悔はしていない。
これほどまでに自己表現の幅が広いゲームは他にないと思っている。
💬 そうだな。君はLoLをやめるべきだったようだ。
💬 彼は平均的なマスター帯プレイヤーのように聞こえる。マスターまで行くには、途方もない時間と献身が必要だ。
多くの人がその努力を過小評価している。ブーストされたり、アカウントを買ったのでない限りな。厳しい言い方だが――依存している人間だけがそこまでたどり着ける。
💬 自分もLoLを引退してもう5年以上になる。今でも思い出すときはあるが、二度と戻る気はない。
ストレスばかりで得るものが少なかった。
マスターまで行ったのは本当にすごいと思う。だが、君の言うとおり、それが何か意味のあるものかと問われれば、そうでもない。
楽しかった記憶より、苦しんだ記憶の方が多いなら、やめて正解だ。
💬 自分はまだプラチナだが、最近は似たようなことを感じている。
ゲームが楽しいからやっているというより、「もう少しで上がれる」「あとちょっとで昇格できる」と思って無理やり続けているような感覚がある。
負けたときのストレスの方が、勝ったときの喜びより大きいのだ。
読んでいて共感するところが多かった。ありがとう。
💬 とても共感できる。
自分は最近、友人と一緒に楽しいゲームをプレイして、笑って過ごす時間の方がはるかに価値があると気づいた。
LoLは確かにスキルと集中力を必要とする素晴らしいゲームかもしれない。
でも、それが心をすり減らすような体験になってしまうなら、離れるのは正しい選択だと思う。
💬 LoLに限らず、対戦ゲーム全般に共通していることだな。
努力して勝っても、ただ次のマッチが待っているだけ。終わりがない。
達成感よりも、疲労感の方が残りやすい。
ゲームとしては面白くても、心には優しくない。
💬 マスターまで行けたことに、誇りを持っていい。それは決して無駄な時間ではなかった。
でも、もし今「もっと良い時間の使い方があったのでは」と思っているなら、それが答えだと思う。次に進むタイミングが来たのだ。
💬 投稿を読んで涙が出そうになった。
自分はまだLoLにしがみついているが、君のようにスッと抜け出せたらどれだけ楽かと思うことがある。
惰性で続けていることは、自分でもわかっている。
そろそろ、自分も決断しないといけないかもしれない。
💬 これはまるで、自分が将来書くことになる投稿を先取りされたかのようだ。
同じような経験をしている人が、こんなにも多いのかと驚かされる。この投稿が、誰かの気づきになることを願う。
💬 ゲームをやめた後、代わりに何をしているのか気になる。日常がLoLに支配されていた人間にとって、それを埋めるのは容易ではない。
ぜひ、君の「次」の話も聞きたい。
人によってそれぞれのLoLとの良い距離感があるニャ